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現代の不安を生きる 哲学者×禅僧に学ぶ先人たちの智慧
BOW BOOKS 018

現代の不安を生きる

哲学者×禅僧に学ぶ先人たちの智慧
著者
大竹 稽 松原 信樹

装丁 石間 淳

ジャンル
ライフスタイル リベラルアーツ 
判型
四六判
ISBN
9784502472015
頁数
320ページ
発売日
2023.06.30
定価
2200円(税込)

紹介

不安があってもだいじょうぶ
不安があるからだいじょうぶ。


哲学者と禅僧による、不安の正体を知り、不安と上手につきあうための17項目。
本書を読む中で、穏やかで、程よく幸せな自分と出会えます。


現代は「不安の時代」などと言われます。先行きが見えない、何が起こるかわからない、VUCAの時代とも言われます。あらゆる環境がめまぐるしく変化し、将来の予測が困難なことを指します。
そこで生じる不安に対し、あるいは、そこで望まれる「不安をなくしたい」という気持ちに対し、多くの専門家たちが誠実に答えているのを散見します。

しかし、禅と哲学からすると、絡め取られた状態を解きほぐすことはできても、「不安をなくす」ことはできないのです。ですから本書も「一瞬で不安がなくなる」本ではありません。むしろ、「不安がなくなる」ことは、決して「よく生きる」ことにはならない、不安こそ人間の根本の一つだと説きます。

哲学者と禅僧、彼らに共通するのは、生きることに決して器用ではないということ。ずんずん先には進めない人たちであるということです。その分、世を見つめ、自己を見つめ、不安ともきちんと向き合い、つきあってきています。その二人が、それぞれの「不安」を吐露し、向き合いながらも、サルトル、アランなどの哲学者からの智慧、中国唐代、日本江戸時代の禅僧たちからの智慧をひきつつ、現代に生きる私たちの「不安」を紐解き、それとのつきあい方を提案します。

見かけの不安をなくす(隠す.目を背ける)のではなく、その本質を見極め、「不安とともに安心して」一生を生きるための本です。

目次

はじめに
序 章
予想外の事態
大竹稽のエピソード
松原信樹のエピソード
わからなくてもだいじょうぶ

第1章 不安がもたらす五つの「虚無」

無関心
他人の目
無関心への哲学からの警告
無関心への禅からの警告
無関心とのつき合い方
不満足
備えがあっても不安は残る
不満足と不満と不足
「不足」は「自己」を知るきっかけ
「足りない」に囚われなければ、「不満」にはならない
自分の内の宝珠に気づく
「足りない」は事実ではなく幻想
無批判
批判的思考の禁止という恐怖
信疑の両輪
正しい意見に敢えて抗う
無難・無事
安定志向の罠
転んでもだいじょうぶ
禅の「無事」
不安があるから踏み出せる
無感動
世界はワンダーに満ちている
小石でもただの小石ではない
感動は足下にある
ヘレン・ケラーの奇跡を生んだもの
センス・オブ・ワンダー

第2章 不安をもたらす六つの「悪癖」

大衆化
居場所の喪失
正しさの絶対化
「大衆」はパンを求めてパン屋を壊してしまう
満足しきったお坊ちゃん
「わからない」を大切にする
正しい答え
正しい答えへのプレッシャー
自灯明と法灯明
自覚すればこそ
権威から離れてみる
承認欲求
ピラミッド型五段階欲求の問題
SNSと不安
身の程がいいね
理想の自分とありのままの自分
いじめ
いじめ防止対策推進法
行為から心へ視点を変える
誰もがいじめてしまうかもしれない
寛容であれ
先入観
先入観? 潜入観?
アイデンティティが生む不安
変でいい
コストパフォーマンス
最短最速最大
自分がモノになってしまうのではないか?
無用が大事
道草のすすめ

第3章 不安と上手につき合う六つの「習慣」

立ち止まろう
列車を押さない
悲しみの中にパンを食べる
脚下照顧
慎もう
楠の木のように
諸行無常
縁に生きる
上手に楽しむ
遊ぼう
遊べない大人
嘆きも羨みも呪いもしない
子どもたちといっしょに
調えよう
整える
調える
身体がバランスを教えてくれる
慈しもう
子育て幽霊
貧者か富者か
「慈しむ」か「可愛がる」か
自慈心と自尊心
巡らそう
恩返しの作法
本来の豊かさ
しあわせは巡る

あとがき

著者

大竹 稽

Ohtake Kei

教育者、哲学者。 1970年愛知県生まれ 愛知県立旭丘高等学校から東京大学理科三類に入学するも、五年後、医学と決別。大手予備校に勤務しながら子供たちと哲学対話を始める。三十代後半で、東京大学大学院に入学し、フランス思想を研究した。専門は、サルトル、ガブリエル・マルセルら実存の思想家、バルトやデリダらの構造主義者、モンテーニュやパスカルらのモラリスト。『超訳モンテーニュ』『賢者の智慧の書』『60分でわかるカミュのペスト』など編著書多数。
現在、哲学の活動は、東京都港区三田や鎌倉での哲学教室(てらてつ)、教育者としての活動は横浜市港北区での学習塾(思考塾)や、三田や鎌倉での作文教室(作文堂)。詳細は大竹稽HPにて更新中。大竹稽の哲学教室HP(https://teratetsu.com/)、大竹稽の学習塾HP(https://shikoujuku.jp/)。

メッセージ

ある日、わたしは十年弱のおつき合いになる、龍源寺さんの松原和尚にとある問いを投げかけました。
その問いこそ、この本の起点となるものでした。

「不安はなくならないですよね?」

すると和尚は答えてくれました。
「不安はなくなりません」
答えは続きます。
「なくならないからこそ、日々の実践が大切です」

禅僧たちは、厳しい修行を終えています。修行では、頭だけの理解は完膚なきまでにやりこめられます。「身を以て学ぶ」ことを徹底させられます。だからこそ、禅僧には「悟り」のイメージがついてくるのでしょう。
仏教の要諦は「解決しない」ところにあります。「どうにもならないことをどうにかしてしまう」ような、魔法の教えではありません。しかし、「どうにもならないことと上手につき合う」ための実践的な智慧は、諸処にちりばめられています。仏教には多派ありますが、中でも禅の教えの核心は、死後の安寧ではなく、「いかに元気に生き切るか」にあります。

一方で哲学には、「不安」こそ人間の証明になるという考えがあります。ドイツの偉大な哲学者マルティン・ハイデッガーもその一人です。
ハイデッガーは、不安こそわたしたちの「存在」を成り立たせるのに不可欠であること、そして、わたしたち人間にとって最も重要な課題である「自由」も「未来」も「可能性」も、不安によって確かめられると論じています。
「不安は孤独化するがゆえに、その中には際立った開示の可能性が伏在している」、わたしたちがいかなる人間であるか、わたしたちが本来的な生き方をしているかどうかは、不安を通して主体的かつ自由に明らかにしていかなければならないと、ハイデッガーは叱咤しているのです。

「人間は頭が良すぎる」とは、『幸福論』で有名なアランの言葉ですが、「不安」は動物と人間の境界を定めるものかもしれません。わたしたちは、人間として親しめる負の部分に共感します。そんな負の部分の大半は、理解と実践のズレから生まれます。
「不安の正体」を理解しようと奮迅するから、生気を失ってしまうのです。そんなところにエネルギーを使わず、「不安はあるものだ」と腹を括ってしまう(理解ではありません)。そして、「なんともならない」ことにエネルギーを使い果たすのではなく、「なんとかなる」ところに使っていくのです。
大切なのは実践。
頭で理解していても実践に欠ける。もしかしたら、哲学者の最も陥りやすい罠かもしれません。

わたしたちは、人間らしく自由に生きたいと願います。不安の時代だからこそ、いっそう、この願いは強くなっているでしょう。そのためにはまず、不安を大事にしてみましょう。先を急がず、他人と比べず、「やばい」と思ったら立ち止まってください。
そして「不安を感じている」自分を認めるのです。不安を感じられるからこそ、わたしたち自身が頼りになるのです。
これまでもこれからも、未来が「不安」であることは変わりません。しかし、だからこそ「わたしたち」は自由でいられます。不安をなくそうとせず、「わたしたち」らしく上手に、不安とつき合っていきませんか?
(はじめにより)

松原 信樹

Matsubara Shinjyu

1971年東京生まれ。東京都港区・臨済宗妙心寺派龍源寺第18世住職。群馬県北軽井沢・日月庵代表役員。妙心寺派布教師。平林寺専門道場を経て、東洋大学大学院文学研究科仏教学専攻博士後期課程単位取得満期退学。祖父・松原泰道、父・松原哲明に師事し2009年より現職。住職として、寺務の他、月一回の坐禅会、法話会、企業研修、学生の坐禅体験指導を行っている。『やさしい禅の教科書』(PHP文庫)、『つながる仏教』(ポプラ新書)のほか、監修本多数。主な著作としては、野口善敬・松原信樹共訳『中峰明本「山房夜話」訳注』汲古書院(2015)。祖父である龍源寺第16世・松原泰道師の『般若心経入門』祥伝社(1972)は、当事のベストセラーとなり仏教書ブームを巻き起こした。

メッセージ

現代では、あらゆる人々がみな、不安を抱えながら自分の人生を生き抜いています。
不安に耐えることは、筆舌に尽くしがたいほど、辛いことです。不安を繰り返す日々の中での支えとなるのは唯一、希望を持つことであって、どんなに過酷な境遇の中でも、わずかとはいえ、心の中に余裕を持ち、そこから新しい道を探ろうとするとき、厳しい環境の中でも活路を見いだすきっかけとなります。
おそらく、生きていく上で、不安、不運、病気、挫折は付きもので、志半ばで挫(くじ)けてしまうこともありますが、挫けても、人間はすべて、最後には、「これでいい」と自分を肯定しながら駆け抜ける中に、かけがえのない自分自身の人生が個性を持ったものとして結実すると思うのです。

不安とは逆に、思いのままになることを如意と言いますが、禅語の如意の「意」は、自己と他者の境界を超えた森羅万象に共通するほとけの心を指します。
つまり、自己と他者に限らず、すべての相対的な認識を超えたとらわれのない境地が大乗仏教の「空」ということになります。本書において仏教側からは、主に「空」という観点にたって不安を論考いたしました。

仏教、とりわけ禅の思想は、いつの時代にあっても、人間のあり方の基本を考え直し、生きる支えとなる根拠を自らつかみ取ろうとするところにあります。現代のこのような時代だからこそ、人間と世界のあり方を考え、誠実に生きるための心の支えを大切にしたいと思います。
(あとがきより)

BOW'S EYE

通常のこういう本ですと、1分で不安がなくなる的な癒し系、あるいは、こうして不安と戦おう的自己啓発が多いのですが、そんなウソは本書にはないです。だって、人間が、先のことを考えることのできる動物である限り、不安はなくならないのですから。 むしろ不安こそが人間を人間たらしめている。必要なのはそれとの上手な付き合い方である、このことを前提に、無関心、無感動から、いじめ、承認依存などまで、私たちの抱える多くの課題の根底に、「不安」があり、いずれも己の「不安」とうまく付き合えないことからくるものであることを紐解きます。 その上で、不安と上手につきあう、心のあり方、日々の行為を示します。 著者の大竹稽さんは、哲学寺子屋を主宰する市井の哲学者、ディスカヴァー時代もいくつか本を書いていただきました。 今回は、あのベストセラー「般若心経入門」の松原泰道師のお孫さんで臨済宗龍源寺住職、つまり禅僧の松原信樹さんとともに、それぞれ、西洋哲学者、臨済宗名槍やお経を引用しつつ、私たちの、そして著者たち自身の抱える不安と向き合います。 最初、「不安で眠れない夜に」というタイトルにしましたが、余計眠れなくなるかも、ということで、営業部ともめにもめ、ちょっと知的すぎるかな、系のタイトルになってしまいましたが、実際眠れなくなるのは不安が高まるからではなくて、思考を刺激されるからです。 そして、何日かかけていつのまにか、不安を抱えている自分や、自分に不安を与えている他者を許している自分に気づくのです。不思議な本です。